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スーフィー イスラムの神秘階梯

啓示された形体へ降下する「絶対者」と出会うために、宇宙は万物の内部で垂直な軸を昇るという激しい運動状態にある。この運動は確固たるパターンにしたがって、規則的かつ継続的に起こるので、われわれはその運動に気づかず、宇宙は静止しているように見える。

この「つねに新たなる」創造を知ることができるのは、「自己」(セルフ)を意識している人間だけである。

自らの意思に反して、この世界に落ちた魂は、自分を異邦人であり、光の世界からの亡命者とみなす。魂は、枷と鎖が耐え難く感じられるほど、自らを高めなければならない。・・・意識の瞬間とは、魂が亡命に気づき、生が幻影であると知り、「一者」の光と一体であった「端初」に戻りたいと希求する瞬間である。

第一にわれわれは非存在であり、実際には神のみが存在する。

第二にすべての人がわれわれに何かを教えることができる。

 

象徴学

われわれは象徴を通して覚醒し、変容し、表現する。・・・神への旅の全体は象徴の中への旅である。

象徴とは神的リアリティーの運動手段である。

 

象徴世界(アーラム、アルミサール)と呼ばれるこの高次の存在の状態は、知性的なアーケタイプの世界と感覚的な現象界との出会いの場である。象徴世界は、アーケタイプの世界の反映である。

象徴世界は、アーケタイプの世界の普遍的諸本質を収束し、それらをこの感覚的、現象的世界へと反射させる。

 

すべての被造物は象徴である。なぜならば、外的感覚によって知覚(パーシーブ)されたものはすべて内的感覚によって高次のリアリティーのサインとして認知(コンシーブ)されるからである。

 

神への旅

①神への旅のはじまりは、物質界が神的なものを隠すベールであるという考えに目覚めることである。

儀式の形而上学的な属性は、象徴学の知識なしに行われた場合、隠れたままであり、不活性である。

 

粘土(知られてるもの)からものをつくっている職人(知る者)を見る人は、職人の手の中にある粘土が単に受け身であり、何も動作をもたないという表面的な観察を行うかもしれない。つまり、実際には粘土が積極的に自分の側から職人の動作を決定しているという事実を見逃している。

確かに職人はざまざまなものを作り出すことができる。しかし、何をつくるにしても、粘土そのものの本性によって制限された限界を超えることはできない。言い換えれば、粘土の本性自体によって、現実態となることが可能な形体というものが決定されるのである。(240)

 

宇宙は一性の中の多様性と表現される「存在一性」の概念と、多様性の中にある一性と表現される普遍的なプロトタイプとのあいだにある。

 

スーフィーの用語では、宇宙はしばしば絶対存在の影と呼ばれる。すなわち、宇宙とは、アーケタイプの感覚的限定であるがゆえに、相対的存在をもっているのである。

影と影をなげかけるものとの関係は、フェノメノン(感覚)とヌーメノン(知性)の関係に似ている。

影が存在するためには、影をなげかけるもの、影からおちる場所、それに影をつくる光の三者が必要である。

 

スーフィーの用語では、影をなげかけるものとは、「自己」(セルフ)の相対的様相における絶対者である。また、影が落ちる場所とは、アーケタイプの世界、すなわち可能的事物の諸本質の場所である。影をつくる光とは、絶対者の自己顕現である、この光はアーケタイプの世界に輝き、下層にある象徴世界の上に影を投げかけ、最後には現象世界に到達する。

 

反射鏡

創造の第二概念は鏡である。

宇宙は神名という形相での「自己」(セルフ)の顕現の場所として創造された。

この宇宙という鏡を磨くための人間が創造された。

スーフィーは神がもうひとつの形相の中に自己の像をもつための道具となる。

スーフィーは個我を無にしたとき、神に向かって神を反射させる能力をもつ。

慈愛の息吹・・・

宇宙は瞬間ごとに再創造されている。