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ユングとオカルト(秋山さと子)

ユングが自我とは別に、さらに大きな心全体であり、その中であり、バランスをとる役割をもつものとして考えたもう一つの自分、個としての全人格的なものという「自己」の存在を考えたのはここからである。

それは東洋の宗教では、禅の指し示す隠された世界であり、道教における全一的エネルギーをあらわす道であり、さらに金丹道の文献では、体内をめぐらす光の存在、そしてそれが集まる額におかれた城であった。

さらにそれは、易の陰陽を司る太極であり、チベットのマンダラ図に描かれた円形と四角の壁に囲まれ、四方の門の開かれている仏の座、マンダラであった。

ユングの考えでは、人間の心の中は、さながら夜空のようであって、さまざまな心的要因の断片がきらめていて、それらは結び合って星座を形成しているように見えた。 あなたがたの中にあるものを引き出すならば、それがあなたがたを救うであろう。

あなたがたの中にあるものをひきださなければ、それはあなたがたを破滅させるであろう。

人間の意識をこえる全体的で統合的な何者かの自覚として、禅の悟りをとらえ直してみれば、そこには明らかにグノーシス的とよばれるものがあるかもしれない。・・

 

我々の存在をこえたコスモス外の神々の行為に対する知識である。 この看取人たちは、しばしば旧約聖書による神の名前で呼ばれていたが、ここでもユダヤ教唯一神である全能の神の概念がくつがえされ、その神は真の神ではなく、神性は持つが下級の霊的存在と考えられている。

彼らによる支配がいわゆるヘイマルメネーとよばれる星の強制力である。 この天球を構成する大宇宙では、人間そのものが幾層もの天球によって閉じこめられ苦しんでいる。そして、その人間の内的世界である小宇宙(ミクロコスモス)では、幾層もの心魂という衣の中に真の魂である霊が埋没している。

占星術による運命決定論が見られ、人間はこの運命的な星の強制力から逃れることができずに、さまざまな苦労を重ねる。

彼らの主神こそ、この宇宙を創造したものたちであり、その神または悪霊は、プラトンの「ティマイオス」に描かれている、この世界の製作者デーミウールゴスの名でよばれている。そして、デーミウールゴスをはじめ、各天球の看取人たちこそ、死後の人間の魂がその故郷である欠けたるもののない十万の場、プレーローマにもどることを妨げるのである。

 

ユングが扉の上にかかげた「信じると信じざるとにかかわらず、神は実在する」という言葉は、本来認識不可能で存在という概念さえ否定する神に対するものである。それは単なる知識を超え、ただ信じることによってしか把握されない。

 

ここにもグノーシス主義に特有の考え方が見られる。すなわち、救済者である<命>は、救済される<命>と同一で外部から来る異邦のものは、この世における異邦のもののもとに来るのである。下降する救済者が救済するのは、かつて世界の中に失われた自分自身の部分である魂なのである。この失われたもののために、大いなる光は再び闇の中に入って、最終的には「救済される救済者」となる。

 

<原父>の姿は誰にも見ることができなかったし、深淵は底なしで、その内容を把握できなかったが、<原父>の<独り子>のヌース(理性)のみが、この深淵を見ることができた。しかし、他のアイオーン(寿命、宇宙的時間の長さ、永遠性、人格化され崇拝の対象となる)たちも、この父を見たいと望み、特に彼らの中で最も若く、プレーローマの外側に近いところにいたソフィアは、父の偉大さを知りたいと望み、その意図を達成しようとする<情念>にとりつかれた。

 

彼女は<深淵>の奥底へ突き進んだが、<境界>の力の働きによってとどめられ、押し戻され、固められ、浄化される。しかし、彼女の<意図>と<情念>は、やはり<境界>によってソフィアから切り離され、プレーローマの外に投げ出される。・・・こうしてソフィアは、上なるソフィアと下なるソフィアに分裂し、この形なき存在によって作られた第二のソフィア、すなわちアカモートの転落が生じた。

 

ヴァレンティノ派・・・プトレマイオスの教説

 

<深淵・男>

<沈黙・女>

<理性・男>

<真理・女>

 

下なるソフィア → デーミウールゴスが創造される。

 

デーミウールゴスの特性は、無知、自分が造ったものに関しても、無思慮で愚かであって、自分が何をしているのかも、それがどうなるのかも知らない。

 

 

アルコーン

神である最初の一者が分裂して、そこから世界がうまれるのだが、始原の神と、この世界の闇には次々と中間地帯を形成する天使が生み出され、その系譜は非常に長くなって次第に退化し、この世界に達する。

 

ユングにとって、多くの人の心に眠っている無意識とは、このような神話的、御伽噺的な主題を持ち、その中に超越的な客観性をもつ何かとして捉えられた。その普遍性と兄弟で集合的な影響力によって、人々は運命に操られるごとく動かされる。これがユング集合的無意識という概念の背景であり、その中に埋もれている自己こそ、救済されるべき救済者、原人アントローポスなのである。

 

マリア・プロフェティサ「一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のもとして、全一なるものの生じ来るなり」

 

この第四番目の欠けたるものこそ、あの「メリクリウスの蛇」、つまり己れ自分を生み、かつまた破壊する者、「第一質量」プリママテリアを表す原初の自らの尾を噛む、あのウロボロスの竜によって象徴されるなにものかであった。