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七つの夜(ボルヘス)

最後のローマ人と呼ばれたボエティウス、執政官ボエティウスは、競馬を見ているひとりの観客を想定します。

その観客は競馬場にいて、観覧席から馬がスタートし、レースが展開する有様、馬の一頭がゴールに入る模様のすべてを連続的に見ています。しかし、ボエティウスはもうひとりの観客を想定します。そのもうひとりの観客とは、観客とレースの両方を見ている観客です。

それはもちろん神です。神にはレースのすべてが見える。永遠の一瞬において、一瞬の永遠において、馬のスタート、レースの展開、ゴールが見えるのです。何もかもが一瞬にして見え、同様にして世界の歴史全体が見えるのです。(47)


 

オデッセイアの中に、角の門と象牙の門という二つの門について語られている一節があります。象牙の門を通って人々のところへ偽りの夢がやってくるのに対し、角の門をとって真のあるいは予言的な夢がやってくるのです。(53)

 

悪夢の英語名であるthe nightmareが出てきましたが、これは「夜の雌馬」を意味します。・・・

また、私たちに役立ちそうな別の解釈があり、それは英語のnightmareという言葉をドイツ語のmarchenと関連付けようとする。メルヘンは、寓話、おとぎ話、作り話を意味します。(55)

 

(仏教において)本質的なことは、我々の運命が我々のカルマもしくはカルマンによってあらかじめ決められているということを信じることなのです。(121)

 

ガンジーは病院の建設に反対しました。・・病院や慈善事業は単に負債の返済を遅らせるだけだ、ほかの人間を助けてはならない、他の人間が苦しんでいるとすれば、彼らは苦しまなければならない。(122)

 

それ(涅槃・ニルバーナ)はむしろ島に喩えられます。嵐の真っただ中にある不動の島です。あるいは高い塔に喩えられたり、庭園に喩えられたりすることもあります。それは私たちとは無関係に、それ自体で存在しているのです。(130)

 

ペルシアの隠喩で、月は時の鏡なりというものです。「時の鏡」という言い回しには、月のはかなさと永遠性が同居している。ほとんど透明で、無に近いけれど、その寸法は永遠に変わらないという、月に備わる矛盾がそこにはあります、(136-137)

 

ラテン語では「発明する」という言葉と「発見する」という言葉は同意語です。こういったことはすべてプラトンの学説に一致していて、発明する、発見するといえば、それは思い出すことなのです。(140-141)

 

美学的事実というのは、愛や果物の味や水と同じぐらいはっきりしてて、直接的で、定義不可能です。(143)

 

私そのものが影、天にある原型の影なのです。その影の影を作ってどうなりましょう。(154)

 

あるピタゴラス学派の人間が、ピタゴラスの教えにはおそらく含まれていない学説、たとえば円環的な時間の理論を唱えたとします。そして、「そんなことは教えの中にない」と言って攻撃されたとき、彼は「マギステル・ディクシット(magister dixit・師曰く)」と答える。そうすることで彼は教えを刷新できるのです。書物は束縛するとピタゴラスは考えた、あるいは聖書の言葉を用いるならば、文字は人を殺し、例は人を生かす、と。(173)

 

十の流出はアダム・カドモーンという名の原型的人間(オンプレ・アルェティポ)が作ります。その人間は天にいて、私たちのは彼の反映なのです。

十の流出からなるその人間は、世界を一つ流出し、さらにもうひとつと、合計四つの世界を流出します。そのうちの三つ目が私たちの物質界で、四つ目はこれから述べる悪の世界です。

すべては、アダム・カドモーンのうちに含まれている。彼は人間とその小宇宙、すなわちありとあらゆるものを含んでいるのです。

・・このカバラの教説にはひとつ使い途がある。それは私たちが宇宙のことを考え、理解しようとするうえで役に立つのです。

グノーシス派が現れたのはカバラ主義者より何世紀も前ですが、彼らも類似した教説を持ち、それは不確定な神を措定しています。プレロマ(十全なるもの)と呼ばれる神から別の神が流出し、・・そしてその神から流出があり、その流出から別の流出があり、その別の流出からさらに別の流出がある。

それらの流出の各々がひとつの天となります。(流出は塔を作っているのです)

その数は365ある。というものも、ここには占星術が混入しているからです。そして最後の流出、神性がゼロに近いその流出に至るとき、私たちは、この世界を創造した、エホバという名の神と出会うことになります。(181-182)

 

ゴーレム伝説(189-190)

 

カバラギリシャ人が「apokatastasis(アポカタスシス)」と呼んだ教義を教えてくれました。その教義によれば、カインや悪魔を含め、ありとあらゆる被造物は、長い転生の果てに、かつてそれが現れ出たところの神性と、ふたたび混じり合うことになるのです。(191)