NAVERまとめで作った記事の残骸を保存したものと読書の記録

NAVERまとめをエクスポートした記事と読書の記録

イースター島の文明はなぜ崩壊したのか、食料の枯渇では説明がつかない人口減少も

イースター島のロンゴロンゴ文明が崩壊した原因をまとめました

 

▽ 「人口爆発と森林の急激な伐採が進んだため、生態系、社会が崩壊」という説

 

米国の進化生物学者ジャレド・ダイアモンドは、2005年のベストセラー『文明崩壊』のなかで、1600年ごろに起きたイースター島(現地名「ラパ・ヌイ」)の社会崩壊を訓戒的な話として取り上げている。島の生態学的環境の破壊によって島内の争いや人口減少、食人の風習による下方スパイラルが引き起こされ、結果的に社会・政治構造が崩壊したというのだ。
出典 イースター島の文明は、通説のようには「崩壊」しなかった:論文が提起した新説が波紋 | WIRED.jp

 

イースター島の文明は、通説のようには「崩壊」しなかった:論文が提起した新説が波紋 | WIRED.jp

 

モアイはラパ・ヌイ(イースター島の現地語名)の人々が崇拝する祖先神を表現している。しかし、木々が減少して島の生態系が悪化した結果、島では内戦が勃発し、伝えられるところではカニバリズムも広まった。オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンがこの島を訪れた1722年には、島の人口は最盛期だった数世紀前の約15,000人から、1,000~2,000人にまで減少していた。
出典 「モアイは歩いて移動した」を証明:動画 | WIRED.jp

 

「モアイは歩いて移動した」を証明:動画 | WIRED.jp

 

平和の中でのモアイ作りは突然終息する。モアイを作り、運び、建てるためには大量の木材が必要で、伐採によって森が失われた。ジャレド・ダイアモンドらは、こうした人為的な自然破壊が究極的にイースター島文明の崩壊を呼んだとする説を述べている[6]。それによれば、人口爆発(僅か数10年の間に4~5倍に膨れ上がり、1~2万人に達したという)と共に森林破壊が進んだ結果、肥えた土が海に流出し、土地が痩せ衰えて深刻な食糧不足に陥り、耕作地域や漁場を巡って部族間に武力闘争が生じた。モアイは目に霊力(マナ)が宿ると考えられていたため、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊した。その後もこの「モアイ倒し戦争」は50年ほど続き、森林伐採は結果として家屋やカヌーなどのインフラストラクチャー整備を不可能にし、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代とほとんど変わらないものになっていた。
出典 イースター島 - Wikipedia

 

イースター島 - Wikipedia

 

▽ 「ヨーロッパ人による奴隷狩りで人口が急減した」という説

 

部族間抗争の存在については、研究が進むにつれて否定されつつあり、イースター島民の人口が減ったのは、ヨーロッパ人による奴隷狩りが原因である可能性が高まっている。苛烈な奴隷狩りにより、島民の人口は100人前後まで減り、やがて疫病の流行で絶滅したとされる
出典 イースター島 - Wikipedia

 

18世紀〜19世紀にかけてペルー副王領政府(→ペルー)の依頼を受けたアイルランド人のジョセフ・バーンや、タヒチのフランス人の手によって、島民が奴隷として連れ出された。1862年に襲ったペルー人による奴隷狩りでは、数ヶ月間の内に当時の島民の半数に当たる約1,500人が島外に拉致された。
出典 イースター島 - Wikipedia

 

Hodges easter-island

 

▽ 「ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病によって人口が急減した」という説

 

それに次いでこの島を襲った、梅毒やインフルエンザなどの伝染病とヨーロッパ系住民の進出が人口減少に決定的な影響を与えたのも事実だろう
出典 イースター島の文明は自然によって淘汰された:遺跡調査による裏づけ | WIRED.jp

 

外部から持ち込まれた天然痘結核が猛威を振るった結果、人口は更に激減し島民は絶滅寸前まで追い込まれ、1872年当時ではわずか111人であった。
出典 イースター島 - Wikipedia

 

イースター島の文明は自然によって淘汰された:遺跡調査による裏づけ | WIRED.jp

 

▽ ヨーロッパ人が到来した時には窮乏状態ではなかったという指摘も

 

『Journal of Archaeological Science』誌に掲載された新たな論文で、研究チームはラパ・ヌイの住人が1600年以降も長く栄えたことを示唆する興味深い証拠を提示している。論文の著者たちは、1722年に欧州の人々が到来した際にイースター島が困窮状態にあったという有名なシナリオの再考を促すものだとしている。
出典 イースター島の文明は、通説のようには「崩壊」しなかった:論文が提起した新説が波紋 | WIRED.jp

 

▽ 食料の枯渇では説明できない漸進的な人口減少

 

科学者たちは、年代測定の技術を用いて、島の人口が1200年ごろ、そして1500〜1600年の間に増加したが(遺跡によって小さな差異はあるが)、続いて、食料の枯渇では説明できない漸進的な減少へと向かったことを確認することに成功した。
出典 イースター島の文明は自然によって淘汰された:遺跡調査による裏づけ | WIRED.jp

 

▽ 部族間抗争は否定されつつある

 

部族の争いがあったにしては、人を殺すことを目的としたような殺傷能力のある「武器」が島内からほとんど発掘されておらず、島で使われていた「マタア」と呼ばれる石器は、人を刺し殺すような作業には適していないという。
出典 イースター島 - Wikipedia

 

ロンゴロンゴ - Wikipedia