「ショーシャンクの空に」を見ました
今週のお題「最近見た映画」
先日、NHKBSで「ショーシャンクの空に」を見ました。
有名な映画なので、ご存じの方も多いと思います。
元銀行員が、不倫した妻と相手の男を殺した罪で服役しているのですが、実際は冤罪なのに20年以上服役している、という話です。
よく映画を見ていて、「この映画が伝えたいメッセージはなんなんだろう」と考えることがありますが、その問題を考えていくと、映画という現象と解釈する自分という存在があることに気づかされます。
「現象はない、ただ解釈があるだけ」という考え方もあります。
つまり、映画に込められたメッセージは、見た人の数だけある、ということになるかもしれません。
「実際に引き金を引いたのはお前じゃない」
主人公の元銀行員と、調達屋の老人の会話のなかで、
元銀行員「俺はいい夫じゃなかった。実際に俺は殺していないけど、俺が殺したようなもんだ」
調達屋「お前は殺してない、引き金を引いたのはお前じゃない」
というやりとりがでてきます。
世の中では、「実際に引き金が引かれる」までに様々な人が関わる、色々なやり取りがあり、最終的に「その人」が引き金を引く、という結果を負うことがあります。
つきつめると、因果の問題だと思うのですが、印象に残るやり取りでした。
刑務所から出所した老人が自殺するシーン
刑務所の中では生きていけたけど、出所したとたんに行き場がなくなり、店舗などで仕事をしますが、最終的に自殺する老人も出てきました。
「老人になって行き場がなくなった頃に仮出所できる」というような会話もあって、そこも印象に残りました。
元銀行員が汚職の手伝いをさせられるシーン
主人公の人は、刑務所の中に図書館を作ったりしますが、それがきっかけとなって、収容者を公共事業で働かせる、という事業が始まります。
その能力を買われて、刑務所長の汚職の手伝いもさせられるようになります。
また、図書館で勉強を教えていた囚人が勉強をして高卒の資格を取りますが、元銀行員の事件の真犯人を知っている、と言っておかげで、元銀行員が出所して汚職がばれるのを恐れた刑務所長に殺されてしまいます。
主人公がもし能力がなければ、汚職もおきず、高卒の資格を取った囚人も殺されることはなかったかもしれませんが、実際にはその人とその人が出会うと、そういうことが起きるのが必然だったのかもしれません。
これも、ある意味で「運命的な出会い」ということかもしれません。
運命を左右するのは人との出会いです。
刑務所という場所の意味
刑務所というと悪い人が行く場所というイメージがありますが、哲学的な意味としては、「ある価値観にとらわれている人たちの集団」「ある一つの社会」と考えることもできます。
たとえば、刑務所に収監されていなくても、この社会に生きている時点で、なんらかの価値観の集団に属しており、それ自体が刑務所なのかもしれません。
たとえば、「大学を出て、会社に入って、結婚して、子供を作って、家を買うのが良い人生のコースだ」という価値観に縛られている人は、その価値観の通りにしか生きられないので、物理的にはどこにでも行ける自由はあるものの、精神的な意味では、どこに行く自由もない、ある意味で「刑務所の囚人」と言えるのかもしれません。
自分が持っている価値観の中で、自分の体験を通して形成されているわけではない価値観をもう一度振り返って考えてみるといいのかもしれません。