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美しさの故なのか、青いダイヤモンドの魔性伝説

青いダイヤモンドの伝説をまとめてみました。フランス革命後の流れが結構面白かったです。

 

最も有名な宝石「ホープ・ダイヤモンド」

 

持ち主を必ず不幸のどん底に落とすダイヤモンドがあります。それは「フランスの青」、「王冠のブルーダイヤモンド」、「タベルニエ・ブルー」など、さまざまな別称がつけられている『ホープ・ダイヤモンド』と呼ばれるダイヤがそれです。1645年にインドからヨーロッパに持ち込まれて以来300年。絶えず持ち主は不幸・不運に見舞われます。
出典 青いダイヤモンドの呪い|中央宝石研究所

 

青いダイヤモンドの呪い|中央宝石研究所

 


出典 www.aflo.com

 

もともとインドの農夫が発見した

 

このダイヤモンドが発見されたのは9世紀頃。
ダイヤモンドの産地として知られていたインドのコーラルという町を流れる川で、マデアという農夫が見つけました。マデアは、このダイヤモンドが後に大変な価値になるとは知りませんでしたが、珍しい石だったので自宅に持ち帰ったのです。当時このダイヤモンドは、112.5カラットもの大きさがあったと言われています。
しばらくして、この地に侵攻してきたペルシャ軍に、このダイヤモンドは奪われてしまいます。
ペルシャ軍は、持ち帰ったダイヤモンドを国王に献上しました。
出典 「呪われた宝石」の伝説で有名な「ホープダイヤモンド」

 

「呪われた宝石」の伝説で有名な「ホープダイヤモンド」

 


出典 www.gettyimages.com

 

フランス人タヴェルニエがムガル帝国で購入して、ルイ14世に売却

 

その後、ホープダイヤモンドは歴史上から一旦姿を消し、次に歴史上に登場するのは1660年代となります。西洋人で初めてインドを訪れたとされる、フランス人の宝石商ジャン=バティスト・タヴェルニエがムガル帝国で購入したのがその頃と言われています。
タヴェルニエはフランスに持ち帰った「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」を時の皇帝、ルイ14世に売却します。
出典 Hope Diamond(ホープダイヤモンド)45.52ct買取・高く売るなら東京(銀座・渋谷)福岡(博多・天神)大阪(心斎橋)神戸(三宮)京都(四条河原町・烏丸・大宮)のマルカ

 

Hope Diamond(ホープダイヤモンド)45.52ct買取・高く売るなら東京(銀座・渋谷)福岡(博多・天神)大阪(心斎橋)神戸(三宮)京都(四条河原町・烏丸・大宮)のマルカ

 

この青いダイヤモンドはムガール帝国の仏像の額にあったもので、入手経緯がはっきりせず、タヴェルニエが仏像から勝手に抜き取ってきたものという説がありますが、彼はこれを否定しています。伝承だけは確実でした。実はこのダイヤモンドには「手にした者を不幸にする」という伝承があったのです。
出典 美しさ故なのか…青いダイヤモンドの魔性伝説

 

美しさ故なのか…青いダイヤモンドの魔性伝説

 


出典 amanaimages.com

 

1792年、フランス革命のさなか、ルイ16世は幽閉され、王族の宝石類は革命政権に没収された。宝石はパリのコンコルド広場に面した屋敷に保管されていたが、窃盗団に強奪されてしまった。
出典 盗まれた太陽王のダイヤは米国に?研究発表 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

 

盗まれた太陽王のダイヤは米国に?研究発表 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

 

ルイ14世所有の特別な20石のうち、ホープダイヤモンド以外は行方不明

 

インドのムガル帝国、ゴルコンダのダイヤモンド鉱山からはじまり、太陽王ルイ14世が治めるフランス、ヴェルサイユ宮殿に至るまで。1668年、東洋と西洋を結ぶ交易路に沿い、壮大な旅が繰り広げられました。この旅においてタヴェルニエがインドから持ち帰り、ルイ14世に献上した数百数千ものダイヤモンド、中でも特別な20石は、思わず息を呑むほどの美しさを放っていたと言われています。しかし、これらの石は19世紀に、ホープダイヤモンドとして世界に知られるブルーダイヤモンド1石を除き、すべての行方がわからなくなりました。
出典 タヴェルニエのダイヤモンドを巡る冒険 | L'ÉCOLE School of Jewelry Arts

 

タヴェルニエのダイヤモンドを巡る冒険 | L'ÉCOLE School of Jewelry Arts

 

ロンドンの宝石商ダニエル・エリアーソン、英国銀行家ヘンリー・フィリップス・ホープが所有

 

「フランスの青」と見られる宝石が出現したのは、1812年のことだ。ロンドンのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソン(Daniel Eliason)がこの年、45.54カラットのブルーダイヤを所有していたことが確認されている。

 次に記録が残っている持ち主は、英国の銀行家、ヘンリー・フィリップ・ホープ(Henry Philip Hope)だ。宝石コレクターであるホープのカタログには、この宝石が掲載されているが、その出所に関する記載はない。

 ホープの死後、ダイヤはホープの甥が相続したが、のちにこの甥の孫にあたる人物が借金返済のためにダイヤを売却した。

 20世紀に入り、ダイヤは何人かの米国人に所有されたのち、1958年にニューヨークのハリー・ウィンストンHarry Winston)社によりスミソニアン協会に寄贈された。
出典 盗まれた太陽王のダイヤは米国に?研究発表 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

 

ホープ一族から、ピエール・カルティエに売却

 

その起源についてしばしば議論されますが、ヘンリーフィリップホープがこの石を購入した1830年から数年しかさかのぼれず、それ以前の事は謎につつまれています。

1839年にヘンリートーマスホープの手に渡たり、彼の死後未亡人が娘孫のフランシスに、姓もホープに変えることを条件に遺贈します。

フランシスホープ卿はギャンブルにのめりこみ破産し、既に有名だったこのダイヤモンドを1900年に売り渡します。

その後10年間、ホープは何人かの手に渡り、所有者がニューヨークのディーラーからトルコの外交官、フランスのダイヤモンドの専門家、フランスのジュエラーへと変わります。

1910年にピエールカルティエが購入し、1911年にエバリンウォルシュマクリーンに売り渡します。
出典 有名なダイヤモンド(4) 「ホープ」 | フォーシーズブログ

 

有名なダイヤモンド(4) 「ホープ」 | フォーシーズブログ

 

カルティエ - Wikipedia

 

ワシントン・ポストの相続人 エヴァリン・ウォルシュ・マクリーンがカルティエから購入

 

ダイヤが人手にわたるたびに、所有者は狂気、自殺、殺人、溺死、首切り、事故に遭遇している。ところが、自分なら災難にあわないだろうと考えた者がいた。ワシントンポスト社の女性相続人、エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンである。1911年、エヴェリンはピエール・カルティエからダイヤを購入した。それからまもなく、交通事故で息子を亡くし、夫に離婚され、この元夫に一家の財産を使いつくされてしまった(彼は、のちに精神病院で死亡)。おまけに、薬物の過剰摂取によって娘まで亡くした。そしてエヴェリン自身は、亡くなる前に、一家が所有する新聞社を売却せざるをえなくなったのである。
出典 サーティーナインクルーズ公式サイト | 株式会社メディアファクトリー

 

サーティーナインクルーズ公式サイト | 株式会社メディアファクトリー

 

ホープダイヤモンドを所有したアメリ社交界の名士

エヴァリン・ウォルシュが10歳のとき、父親が思いがけず成功しました。所有していたキャンプバード金鉱山ではピーク時には一日に5,000ドルもの金を産出していました。翌年、一家はコロラドからワシントンD.C.社交界に移り住んでいきます。

若くしてエヴァリンは富の醍醐味を知ったのです。12歳で父親に頼んで通学のために馬車を買ってもらったそうです。

1908年にウォルシュはワシントンポスト社主の息子であるエドワード・マクレーンと結婚。ヨーロッパへの新婚旅行のために10万ドルを受け取りましたが、彼らの浪費ぶりではすぐに足らなくなってしまい、送金を頼んだほどでした。現金が送られてくると、エヴァリンは95カラットの「東洋の星」がセットされたジュエリーを購入しました。
出典 Vol. 21 エヴァリン・ウォルシュ・マクレーン(1886-1947) ジュエリー ハートアート|ダイヤモンドシミュラント ジュエリー 通販ショップ

 

Vol. 21 エヴァリン・ウォルシュ・マクレーン(1886-1947) ジュエリー ハートアート|ダイヤモンドシミュラント ジュエリー 通販ショップ

 

マクリーン家から、宝石商ハリー・ウィンストンに売却される

 

彼は、1949年に「コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)」と呼ばれる移動展示会を企画し、所蔵していた最も貴重で歴史的価値の高い宝石コレクションを人々に披露しました。その展示品のハイライトは、45.52カラットにもおよぶサイズの濃紺色を帯びた世界最大のブルーダイヤモンドホープ・ダイヤモンド」でした。約5年間かけて全米の主要都市を移動した展示会の収益は、各都市の慈善事業支援にあてられました。そして1958年、ハリー・ウィンストンは、全世界への贈り物として、このホープ・ダイヤモンドをワシントンD.C.スミソニアン研究機構に寄贈したのです。
出典 ブリリアント・フューチャーズ | 慈善活動 | ハリー・ウィンストン

 

ブリリアント・フューチャーズ | 慈善活動 | ハリー・ウィンストン

 

ハリー・ウィンストンホープダイヤモンドのエピソード

 

ハリー・ウィンストンはまったく呪いを信じず、ジョークのネタにしていた。以下の逸話が残っている。

ウィンストン夫妻は共に遠出をすることになるが、当初の予定が狂い、妻のみが別の旅客機に移動した。妻がキャンセルした席、つまりウィンストンの隣の座席に代わりに乗ってきた男は、安心したように隣のウィンストンに話しかけてきた。

「実は、私が乗った旅客機に、あのホープダイヤの持ち主であるハリー・ウィンストンの妻が乗り合わせていると聞いたのでね。慌てて便の変更をしたってわけですよ…いやまったく、この席がキャンセルで空いてくれて本当に良かった。これで安心ですな」
ウィンストンは笑って「それはそれは」と答え、ホープが入ったトランクを撫でたのみだったが、飛行が終わり席を立つ際、名前を明かし相手を大変驚かせたという。
出典 ホープダイヤモンド - Wikipedia

 

ダイヤモンド ジュエリー & ラグジュアリー ウォッチ | ハリー・ウィンストン

 

その後もハリー・ウィンストンは世界のトップに位置するジュエラーとしての数々の偉業を残す。たとえば1949年には45.52カラットという世界最大級のブルーダイヤ「ホープ」を入手。これは1958年、米国スミソニアン博物館に寄贈されるが、1963年には127.01カラットの「ポーチュギーズ・ダイヤモンド」を、1964年には、253.7カラットというイエローダイヤモンド原石「オッペンハイマー」を同じくスミソニアン博物館に寄贈している。
出典 ダイヤモンドの王、ハリー・ウィンストンの矜持 | Gressive ~YOSHIDAで体験する高級時計への旅 第53回~

 

ダイヤモンドの王、ハリー・ウィンストンの矜持 | Gressive ~YOSHIDAで体験する高級時計への旅 第53回~

 

ホープダイヤモンド - Wikipedia

 

呪いの伝説は、カルティエがマクリーン家(ワシントンポスト社)に宝石を売ろうとして作った伝説?

 

山口遼著「ダイヤモンドの謎 永遠の輝きに魅入られた人々」によりますと、このホープ・ダイヤモンドの由来について有力説は、こうです。

 タブルニエがインドで購入しルイ14世に1668年に売った「フレンチ・ブルー」と呼ばれるダイヤモンドが始まりで、1673年に王の命令により三角形にリカットされ、約67カラットのダイヤモンドになりました。その後、1792年にフランス王室宝物庫の襲撃、強奪事件で盗まれて、行方不明になりました。

 このフレンチ・ブルーの正体を隠して売却するために、強奪犯のひとりがロンドンで2つにカットして、その大きいほうがホープダイヤモンドとなった、という説です。その後、ロンドンのホープ一族に買い取られ、数人の業者を経て、1910年にカルティエが買い取りました。1912年、カルティエから買ったのが、アメリカのマクリーン夫妻で、1949年にハリー・ウィンストンが買い取り、1958年にスミソニアン自然博物館に寄贈しています。

 山口遼著「ダイヤモンドの謎」では、このホープ・ダイヤモンドの「のろいの宝石」の伝説は、カルティエがマクリーン夫妻に売り込む際が発端としています。
出典 「ホープ・ダイヤモンド」の正体は、ルイ14世の「ブルーダイヤモンド」: 宝石月夜ばなし

 

「ホープ・ダイヤモンド」の正体は、ルイ14世の「ブルーダイヤモンド」: 宝石月夜ばなし

 

2年後にパリに滞在したときに、ピエール・カルティエは彼女に数々のジュエリーとともにホープダイヤモンドを見せました。カルティエは彼女にこのダイヤモンドに関するストーリーを話し、ホープダイヤモンドが持ち主に不幸を運んでくるとの評判があることも認めました。カルティエは、マクレーンが不運のお守りこそ幸運を運んでくると信じていること、そして、彼の暗示は彼女の興味をそそると知っていたのです。
出典 Vol. 21 エヴァリン・ウォルシュ・マクレーン(1886-1947) ジュエリー ハートアート|ダイヤモンドシミュラント ジュエリー 通販ショップ