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トランスサタニアン占星術

天王星の社会的価値観の否定、あるいは信念体系の覆しというものを前提にして、そこから初めてその後の海王星冥王星がうまく働くようになります。土星と、天王星海王星冥王星のグループの間には大きな壁があるようです。古い社会構造は、土星までで完成していると考えてもよいでしょう。・・古典的な占星術では、一番外側は土星でしたから、人間の価値とか、あるいはまた生きがいを判断するには、すべて社会的な価値観の枠内でのみ考慮していたといえます。それ以外は何を探しても、どこにもないも可能性はないので、・・刑務所の中で一生を過ごすというような感じがします。(19)

 

出生図というのは、実は宇宙的な存在が死んだときの図であり、いわば墓標です。(27)

 

牡牛座の思考記憶域、タロットカードでいえば「2女教皇」の持つ書物であり、そこには世界を作り出す基本の言葉がまるで聖書のように書かれています。・・書物をアカシックレコードと考えてよいでしょう。アカシックというのは、「アカーシャ」という言葉から来ていて、これは第五元素としての空の元素です。それを四元素に分解すると、時間と空間が生まれます。・・・私たちはアカシックレコードの書物のどれかの行を選んで解凍して、特定の時空間の表現にしていき、この中を歩きます。・・これらは神話言語で記述されており、つまり極めて振動密度の高いものなので、私たちの実人生のように振動密度が低く、物質密度の高い存在状態では、この神話言語からはみ出すこともできず、しかも意識化もできず、そこに従属して、つまりシナリオに動かされているという状態になります。(136)

 

視覚は特定の対象にはっきりとフォーカスしますが、フォーカスすると今度は無意識の側はそれ以外のものをフォーカスするという二極化を起こします。

乙女座の視覚は、天王星海王星冥王星の領域に適用すると、あらゆる点で非物質的な視覚ということになりますから、何もないところに見る視覚ということになります。あるいは見えるものの裏側に押しやられたものを見るということです。

視覚は思考の反映として、見たものすべてに考え方を押しつけています。

視覚は思考の反映であるということは、唯物論的な思考であれば、空気の中にいろいろなものが見えるということを拒否します。・・見える見えないは思想の問題なのです。

 

天王星海王星冥王星の三つの天体で、この触覚の天秤座を扱うと、非物質の面で触覚を確認してほしいという話になります・・実は多くの人はこの非物質的触覚も休みなく体験しています。

 

蠍座の蠍とは地に落ちた鷲ですが、もともとの鷲の場所に回帰するためには生命感覚の高まりが必要です。生命感覚を強めるのに最も簡単な方法は、複数の人を集めて、支配的な立場に立つことでしょう。権力とはこの強い生命感覚をもたらすのですが、これは蠍座の15度の手法で、だれもが使う手法でもありません。(162)

 

 

12サインのプロセスでは、最後のサインとは魚座です。
支配星は海王星であり、これはアストラル体の反映物ですから、水のサインはアストラル体の形成に関係するとみて、水瓶座山羊座から引き剥がすという処理は、アストラル体の段階で止まります。
山羊座を事物の世界でみなすと、事物から象徴を切り離し、この象徴そのものが独立的な生命となるのが魚座の段階です。
象徴は事物の付属品ではなく、象徴は事物よりも優位にあり、むしろ事物がそれに苔のように張りついていたのです。
(228ページ。魚座リリス

 

そもそも海王星は全く実用的でもなく、物質的でもないので、射手座海王星の熱意や試みは、実用主義的な人からすると、何の意味もない役立たないことに見えます。

地球社会では物質主義的でないものはすべて攻撃対象になりますから、空中楼閣的なことをしている息子を、両親は厳しく非難するかもしれません。

しかし宇宙的な意味ではこのことも正当性が高いので、この役に立たないことをすることにプライドを持つのがよいのです。人間は道具主義的な存在ではないし、独立した存在であり、独立するということは、何かの役に立つという依存性を発揮しないということなのです。役に立つ人とは依存的であり、自分の存在証明を他者に委ねているのです。必要とされること、貢献すること、そこに意義を感じるのは、しばしば間違っていることもあるのです。それを踏まえたうえで、どこまでも果てしなく上昇し、純化され、透明になっていく意識を探求していくとよいと思います。

(射手座の海王星、328ページ)

 

アーリマンとは物質化方向に向かう性質を持つロゴスです。つまり、それは、創造的精神という意味です。こう聞くと疑問に感じる人も多いと思いますが、創造とは多数のものを作ることで、それは一つのものをたくさんに割り、その結果、個々のものは振動密度が落ちることで、物質密度が高まるのです。

人間でいえば、互いの意思疎通ができなくなり、主観に閉じこもり、他者を警戒するようになります。

 

アーリマンが支配する世界とは、世界は想念によって作られたのではないと考えることに特徴があります。あらゆるものの根底には意思があると考えると、これは、すべて想念が作り出したものとみなしてよいでしょう。しかし想念には何もない、世界はそれとは別個に動く「冷たい時計」だと考えるのがアーリマン世界の特徴です。

 

司馬遷は神話と史実を切り離せといいましたが、別の言い方をすると。象徴と事物が別個なのが今の地球です。これは事物とは想念に従わないということです。意図や想念には追従しない事物であふれている地球で、意図や想念に従属しない物質に寄せて考えると人間という生き物も、偶然の産物であり、そこに意図は存在しません。これがアーリマンの世界の特徴です。

(33~34ページ)