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デミアン(ヘルマン・ヘッセ)

たとえば、チョウ類の中のある蛾に、雄より雌がずっと少ないのがある。チョウ類は動物と同じようにして繁殖する。つまり雄が雌をはらませ、雌が卵を産む。

さて君がこの蛾の雌を一匹持っているとするとー自然科学者によってたびたび実験されたことだがー夜その雌のところに雄が飛んでくる。しかも数時間もかかるところを!数時間もかかるところだよ、きみ!幾キロも離れていても雄はみんな、その辺にいるただ一匹の雌をかぎつける!その説明が試みられているが、それは困難だ。

一種の嗅覚が、あるいはなにかそんなものに違いない。より猟犬が目につかない足跡を見つけて追及することができるようなものだ。わかるかい?そうしたことなんだが、そういうことは自然界にはいっぱいある。そしてそれは誰にも説明できない。

だが、ところでね、その蛾にしても、雌が雄と同じように頻繁にいたら、鋭敏な鼻を持ちはしないだろう。そういう鼻をもっているのは、訓練したからにほかならないんだ。

動物、あるいは人間も、彼の全注意と全意思をある一定の事物に向けると、同じようになれるんだ。(84-85)

 

ここに宗教の欠陥をきわめて明らかに見うる点の一つがあるんだ。

旧約と新約の、この神全体は、なるほどりっぱなものであるけれど、それが本来あらわすべきところのもではないということが問題なのだ。その神はよいもの、気高いもの、父らしいもの、美しいもの、高いもの、多感なものでもある。ーまったくそれで結構だ。

しかし世界はほかのものからも成り立っている。そして、それはすべて無造作に悪魔のものに帰せられている。世界のこの部分全体、この半分全体が、ごまかされ、黙殺されている。彼らは神を一切の生命の父とたたえながら、生命の基である性生活というものをすべてどんなに無造作に黙殺し、あるいは悪魔の仕業だとか、罪深いことだとか説明していることだろう。・・・

だが、この人工的に引き離された、公認された半分だけでなく、全世界をいっさいをあがめ重んじるべきだ、とぼくは思うんだ。そこでつまり、神の礼拝とならんで悪魔の礼拝を行わなければならない。・・悪魔を包含している神を創造しなければならないだろう。・・この世の最も自然なことが起きるのだとすれば。(93-94)

 

放蕩者の生活は神秘主義者になる最上の準備の一つなんだ。(129)

 

できあがったのは、するどい精悍なハイタカの頭をした猛鳥だった。それは半身を暗い地球の中に入れ、その中からさながら、大きな卵から出ようとするかのように、苦心して抜け出ようとしていた。背景は青い空だった。その絵をながく見つめていればいるほど、それは夢の中にでてきた彩色の紋章であるように思われた。(134)

 

「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」(136)

 

「われわれは古代のあの宗派や神秘的な団体の考えを、合理主義の観点から見て素朴に見えるように、それほど素朴に考えてはならない。古代は、われわれの意味での科学というものはぜんぜん知らなかった。そのかわり、非常に高く発達した哲学的神秘的心理が研究されていた。その一部から魔術と遊戯とが生じ、しばしば詐欺や犯罪になりさえした。しかし、魔術でも高貴な素性と深い思想を持っていた。さっき例にひいてアプラクサスの教えもそうであった。人々は、この名をギリシャの呪文と結び付けて呼び、今日なお野蛮な民族が持っているような魔術師の悪魔の名前だと思っているものが多い。

しかし、アプラクサスはずっと多くのものを意味しているように思われる。われわれはこの名をたとえば、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ、一つの神性の名と考えることができる。」(138-139)

 

きみが生まれつきコウモリに造られているとしたら、ダチョウになろうなどと思ってはいけない。きみはときどき自分を風変りだと考え、たいていの人たちと違った道を歩んでいる自分を非難する。そんなことは忘れなければいけない。火を見つめたまえ、雲を見つめたまえ。予感がやってきて、君の魂の中の声が語り始めたら、それにまかせきるがいい。(163)

 

人は自分自身の腹がきまっていない場合にかぎって不安を持つ。彼らは自分自身の立場を守る決意表明したことがないから、不安をもつのだ。自分自身の内部の未知なものに対して不安を持つ人間ばかりの団体だ!彼らはみな、自分らの生活の法則がもはや適合しないこと、自分たちの古いおきての表に従って暮らしていること、宗教も道徳も何一つ、われわれの必要とするものに適応しないことを感じている。(202)

 

来るべきものは突然現れるでしょう。そのときぼくたちは、知る必要のあることはきっと経験するでしょう。(232)

 

あれから三度新しい前兆を見た。・・これはほんの始まりだ。おそらく大戦争になるだろう・・・古いものに執着している人たちにとっては、新しいものは恐ろしいだろう。(236)