スウェーデンボルグ「天界と地獄」を途中まで読んで
最近、水木しげる氏の「神秘家列伝」という本のシリーズを読んでいます。
漫画なので、簡単に読めるのですが、時々奥深いことが書いてあったりします。
この本を読むと、水木しげる氏が、ただの妖怪漫画家ではなくて、神秘家だったことがよくわかります。
神秘家列伝1巻は、スウェーデンボルグ、ミラレパ、マカンダル、明恵が登場人物です。
スウェーデンボルグはなんとなく聞いたことがあったのですが、より深く知ることができました。
スウェーデンボルグは、結構有名な学者さんだったらしいのですが、
一つは、スヴェーデンボリがスウェーデンのエーテボリで会食をしていたある夜、突如遠く離れたストックホルムで火事が起こったと言い出した事件である(千里眼事件)。刻一刻、彼は火事の現在状況を出席者に伝え、最後には彼の家の三軒手前でようやく火事が消し止められた、と語ったのである。
ストックホルム大火の報は翌々日になってようやくエーテボリにもたらされたが、火事の被害は、火事の夜にスヴェーデンボリがまるでその場で見てきたかのように語った内容と寸分違わぬものだった。
という事件で有名になった方です。
エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)
時代は、フランス革命より少し前ぐらいの方です。
そこで、スウェーデンボルグの「天界と地獄」という本を読んでみました。
この本は、幽体離脱して死後の世界に行った、という内容なのですが、40ページほど読んで、私が今持っている世界観とかなり違うので、読むのをやめました。
まず、この本では、「善行を積んだ人は天国に行き、悪いことを行った人は地獄におちる」という内容が強く主張されています。
また、「合理的な能力の開発」、「合理的な能力が開発される過程」など、「合理的」という言葉が頻繁に出てくるように思いました。
フランス革命は、政治的には、市民(新勢力)が国王(旧勢力)を打倒するという大きな流れがありますが、思想面では、旧勢力であるカトリックを排除したいという思惑と結びついていました。
実際、王権神授説のもとでは、王は神の代理人として統治していることになるので、王を倒すということは、神の否定、という意味もあることになります。
そこで、カトリックに代わる思想や宗教が必要になってくるわけですが、そこで生まれたのが、人間理性への信仰、合理論、唯物論、人間万能主義、プロテスタンティズムということになります。
つまり、フランス革命の近辺の時代では、合理論が台頭し始めていた、ということです。
これは、人間は、自由意思を持っており、自分が置かれている状況を的確に認識して、自由に決定を下すことができる、という考え方につながっていきます。
実際、今の時代でも、そのように考えている人が多いと思います。
自由に意思決定ができるのに、その意思決定と行いは悪いものだった、だから罰せされるべきだ、という現在の刑法理論のもとの考え方が浮かび上がってくるのです。
ただ、これは客観的に見ても、そうではないのです。
たとえば、不況で生活苦に陥って強盗をしてしまうとか、なんらかの原因でそのような決定をせざるを得ない立場になってしまう、ということが人生では多くあります。
つまり、人間は完全に自由な意思決定を行うことはできない、ということです。
もし、完全に自由な意思決定を行っていないのであれば、その行為をした人に責任を問うことはできない、ということになり、現在の刑法体系は崩れてしまいます。
また、善行を積めば天国へ、悪行を行う人は地獄へ、という理屈も崩れていきます。
スウェーデンボルグの考え方には、「人間は自由意思を持っていて、合理的に正しい決定ができる」という人間観が底流にあることがわかります。
あと、これは原文ではなく、解説の文章だったのですが、死後も生前の記憶を持ち続ける、という下りの解説に次のような文章があります。
記憶がどう変化するかが、本章の大きな主題である。死が絶滅でもなく、また個的な生命が大生命へ吸収されてしまうことでもない以上、自己同一性の連続性を支えるのは記憶の持続である。
スウェーデンボルグのこの本は、霊界の本なのですが、内容は、「人間は自由に意思決定ができるから、決定と行為に責任が生じる」という考え方や、「個」、「自己同一性」(アイデンティティー)などの考え方が登場しており、極めて現代的な考え方が底流にあるのがわかるように思います。